平成8年5月。合併40周年を迎えた吾北村は、写真という記録の財産を村民みんなで残していこうという、ちょっと変わった宣言をした。
世界でもおそらくここだけの『写真文化の村宣言』である。
その提唱者が山中賢一さん(53才・写真右)。新聞社のカメラマンを辞め、2年前に広島から吾北村にやってきた『村の写真屋さん』である。
「本川村に取材に来たのがきっかけで、山に住みたくなった。その家を探しているときに吾北村を通りかかって、偶然、空き家を見つけたんです」
|
|
「僕はここで骨を埋める覚悟。この村が良くて選んだのだから、その良さをみんなに伝えたい」
カメラのファインダーという、もう一つの眼を持つ山中さんには、きっと私たちには見えない村の風景が見えたのだろう。
「写真文化の村を提案し、村民写真展を企画して、みんながいちばん変わったのはファインダーを覗くことによって、今まで見えなかった風景が見えるようになったことだと思う」
「いままで『自分の村には何もない』と言っていたけど、こんなにいいものがあるぞと気付いてくれる人が増えてきたんですね。
その手助けができたことが僕はすごく嬉しい」と、言う。山中さんのいう記録の財産とはつまり、こころの財産づくりなのである。
|
|
その記念すべき『ごほく村民写真展'96』に寄せられた作品は、全1334点。
初めてカメラを手にしたというおじいちゃんやおばあちゃん、そしてこどもたちがテクニックではなく、こころで写した写真が集まった。愛すべき吾北村が、写真のなかでいきいきと生きていた。
「昭和50年、51年の台風災害で、それまでの村は消えてしまった。
いま、昔の写真を掘り起こして保存しておかないと、村のアルバムは昭和50年以降から始まってしまうことになります」
|
「いま、何かを残すという機会を持たなければわからなくなってゆくだろうし、これからもそう。
あの時の風景、あの時のおばあちゃんの笑顔とか、こういう人が居たんだという歴史が大事なんです。
村にいる人たちが撮った現在の積み重ねが、10年後50年後、すごい記録の財産になるんだと思います」
その山中さんが、平成9年1月、高知市で写真展を開いた。村に住む10才の子どもたちを撮った『あつまれ10才(てんさい)』である。
|
|
「村の子どもたちは都会の子がなくした表情を持っている。僕が嬉しく励まされるようないい表情なんです。
山の子、いなかの子で、なぜ悪い?これは僕から彼らへのお礼です」
あらためて、心から、村へようこそ。
(平成9年発行 吾北村村勢要覧「ほのぼの吾北」より)
-ごほく ふるさと人間図鑑・おわり-
|
|