吾北村奥大野。この山里では、水車がいまもゴットン、ゴットンとそばやきびを挽きながら生きている。
30年ほど前までは谷川ごとにあったという水車も機械化とともに姿を消し、現在、現役で働いているのは、この奥大野の水車だけとなってしまった。
この水車は昭和58年にそれまでの水車にとって代わったもので、平成5年に修理を受けて今年14年目を迎える。
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「水車は乾かしたら、おおごと。いっつも水に濡らしちょらにゃいかん。
カラカラに乾いてしもうてから水をかけたら、水車が暴れる。干さんように水の管理が大変ですらぁ。
けんど、これは奥大野の文化財じゃけね」
と言うのは、奥大野水車組合の岡林忠誠さん。組合は水車の建設に出資した人たち17人からなる組織で、忠誠さんはその水車の庄屋さんなのである。
「水車は当番制で毎日使いよります。機械で挽くよりも、水車で挽くほうがうまいし、なにより省エネじゃ」と、言う。
昭和61年の産業祭で、高知県知事賞を受けた水車づくりの名人である大工の岡林荒男さん(63才・写真上)は手がけてきたいくつもの水車に思いを馳せる。
岡林さんによると、水車をつくるのはそれぞれの集落に住む大工さんたちの大事な仕事のひとつでもあったという。
「昔は、水車も大事な労働力やったんです。私も弟子入りをしてすぐに師匠から習いました。大工にとって家を建てるのと同じように、水車づくりも腕を試される仕事でした」と言う。
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水車は直径12尺、11尺、10尺の3タイプが基本で、『グル』と呼ばれる輪と8つのヤギ、芯棒、水を受ける樽からできている。
巧妙にも、そのヤギが組み合わされて大きな円となるのだそうだ。
そうして水車はまわり、芯棒が小屋の歯車を動かし、石臼がまわる。さながら、小さな発電所なのである。
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「けんど、組み立てが悪いと一定にまわらんのです。そのバランスをうまくとりながら作るのが難しい」と、岡林さん。
製作日数7日間、水車づくりに大工さんたちは真剣勝負で挑んだのである。
「昔の人は偉かった。生活の知恵というものが進んじょったと思う。
そういう意味では、いまより、ずっと豊かやった。その知恵と工夫、技を若い大工たちにも伝えていきたい」
いま、岡林さんはもう一度、新しい水車を作ってみたいと思っている。
(平成9年発行 吾北村村勢要覧「ほのぼの吾北」より)
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