今から20年以上も前のこと。この程野(ほどの)の自然を大事に守っていくためにも観光地として開発していこうと夢見た人がいた。
この程野の番人、川村泰博さん(69才・写真右)の父・馨さんである。
「当時、東滝の周辺は官行造林地で、父はこの木を伐ったら景観は二度と戻らないと、しきりに言っていました。
これを生かしながら観光地にしたら、将来、きっと村の宝になるので木を伐らんようにしてくれ、村に払い下げてくれと、何度も営林署にお願いに行きよりました」
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川村さんはいまは亡き父の姿を思い出すかのように語る。
公園化されれば、乱伐、乱開発から免れると考えたからである。
しかし、当時は現代のような自然保護への意識も薄く、村が買い取ろうという動きもなかった。
その陳情を繰り返す一方、馨さんは営林署の許可を得て滝がよく見えるように草を刈り、案内板を立て、滝を訪れる人たちの案内人を務めながら、
程野の自然のすばらしさ、大切さを語り続けていたという。その父の夢を受け継いで、川村さんが『程野の番人』となったのは昭和60年頃のことだ。
「父も老い、集落から次第に人もいなくなりはじめて過疎になりかけた頃でしたから、
それをやることによって少しでも過疎の歯止めになるなら力を注いでみようと思うたわけです」
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その決意から1年後、村による程野の開発が始まり、平成4年には、皇太子殿下をお迎えしての全国育樹祭も開催された。
その育樹祭のあと、滝周辺が営林署から村へ払い下げとなったのである。父・馨さんは夢見た程野の開発が進むのを見届けたかのように、翌年の平成5年、この世を去った。
「程野の開発は、もちろん、父の夢でもあったが、地元の夢でもあったと思います。いま、グリーンパークほどのになっている場所は、この集落共有の茅場でした。
昔からの先祖伝来の地を手放すのは、大きな決断が要ることでしたから、当然、意見も分かれた。みんなで何回も会合を開き、話し合い、みんなで未来のために決断したんです」
昭和25年頃には40戸、266人もいた集落人口も、現在は12戸、29人までと減り、高齢者ばかりになってしまった。
「60歳以上が人口の半分になったら限界集落だと言いますが、うちの集落はすでに65才以上が3分の2になって超限界集落になってしもうた。
これに歯止めをかけるには若い人に戻ってきてもらう以外にはない。そのためにも働く場所がないといかん。私らは、程野のそれを夢見ておるんです」
平成8年秋、その程野の集落を励ますかのようにもみじまつりは5千人もの人で賑わった。
育樹祭を超えるような空前の人出である。
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「ごみや車の混雑など、多少の不都合があっても、人が来てくれて賑わうほうが、そりゃあええですよ。
私のおすすめは、西滝と東滝の秋。春の新緑もええし、冬の凍った滝もええです。空も、星も、これまたきれいやし、すすめきれんですねぇ(笑)」
程野の番人は嬉しそうに笑った。
(平成9年発行 吾北村村勢要覧「ほのぼの吾北」より)
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