山間の急な斜面を耕し、耕し、田畑が空へ空へと段々に続く。吾北村長引。
その地名を冠にかざす『長引スイカ』は、ひと玉数千円で取り引きされるという王様クラスの高級ブランド品だ。
「長引のスイカの特長は、割った時、中にぶつぶつと白い泡があるがです。『シャ』というか、歯ざわりが良うて、うんと甘い。平坦地ではこういう味は出んのです」
と言うのは曽我和功さん(66才)。いまから40年ほど前の昭和34年、長引のスイカづくりは、この曽我さんの畑から始まった。
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当時、若き曽我さんは専業農家として生きていくために端境期を利用して、夏場の白菜、大根、キャベツと、いろんな野菜づくりに挑戦していた。
しかし、かろうじて白菜はなんとか出荷できたものの、それ以外はことごとく失敗の連続だった。
「それで、ようやく行きあたったのがスイカです。今考えたら、最初は作るというよりも植えたというだけのことやったと思います。
私の農業はまっこと幼稚なもんやったです」
そのスイカを農協で借りたリヤカーに乗せて伊野町に売りに行き、手応えをつかんだ翌年には親戚のオート三輪を借りて高知市内へも売りに行くようになった。
しかし、一軒一軒をまわっての販売は、なかなかキツい。そこで、曽我さんは思い切って青果市場に出してみることにしたのである。
「ところが、そこで『このスイカは高知一』という思いがけん評価をもろうたんです。
それから3年続けて市場に出して『よし、これじゃったら』と思うて、長引で一緒に作る仲間を呼びかけたがです。
この仲間がおらんかったら、長引のスイカはここまでにならんかったと思います」
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それが、昭和43年に発足した『長引園芸組合』である。現在、組合員は14名。
当時はまだ、ひとつの地区でこういった生産者組合が組織されるのは珍しいことでもあった。
「長引の土壌は水はけが良く、傾斜地で日光もよう当たるし、昼夜の温度差があるので、スイカには向いっちょたがでしょう。
けんど、天候に左右されるし、土が古くなると味が悪うなる。努力をせんと、すっと味に出ます。」
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「 僕はスイカを作って40年近くになりますが、やっぱし、いまだに一年生です。死ぬまでやっても一年生です」
自然に対するこのまじめさ、謙虚さが、今年もおいしいスイカを作らせる。
(平成9年発行 吾北村村勢要覧「ほのぼの吾北」より)
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