えんこう淵と手取(てとり)
むかしむかしのことじゃ。今の手取(てとり)の下を流れる上八川川(かみやかわがわ)に、そりゃ深い淵があって、その淵に『えんこう』が住みついちょったそうな。
ほんで、この淵のことを「えんこう淵」と呼びよったというが…。
『えんこう』は、瓜が好きじゃあけ、毎日のように淵から出てきちゃあ、手取(てとり)へ上がって行き、瓜畑を荒らしよったと。
手取の人らあは、えんこうが入れんように竹の柵をしたけんど、『えんこう』はガサガサと長い手で柵を壊しちゃあ、やっぱり畑の瓜を食べに来よったそうな。
古田(ふるた)というくのおじいとおばあは、『えんこう』の悪さに困りきっちょった。
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ひいといのこと、家族で田の草取りをしよって、ひょいと家の方を見たおじいは、『えんこう』うしろ姿を見たそうな。
おじいが急いで家へもんて来ると、どうしたもんか茶の間の囲炉裏(いろり)の自在鉤(じざいかぎ)へ、鮎やイダを吊しちょったと。
「ありゃあ、こりゃ、めっそう」おじいは、ほくほく顔じゃったそうな。
次の日もその次の日も、『えんこう』はせっせと鮎やイダを持て来たそうな。
それから何日かして、田んぼでジャバジャボ音がするけに、おばあが行て見ると、『えんこう』がこちらの畦(あぜ)に腰掛けて、長い長い手を伸ばして、とっと向こうまで田の草を取りよったそうな。
おばあは、こじゃんとおじた(=恐がった)そうな。
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ある年のこと。思地(おもいじ)の方から流して来た筏(いかだ)が、「えんこう淵」まで来たそうな。
筏師が筏を進めようとしたら、『えんこう』が長い手を出して邪魔ばっかりするもんじゃけ、筏師は腹をたて、ナタを出してタンッと『えんこう』の手を切ったそうな。
里の人らあは、この手を埋めて、ていねいにお祭りをしたそうな。それからこの里は、手取と呼ばれだしたんじゃということじゃ。
(出典・渓流会編「吾北むかしむかし」
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鮎返りの渕
むかし、土佐の国で権力を持っちょった長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)公に、曽我大隅(そがおおすみ)様という子がおったそうな。
ある日、大隅様は狩りに出て、一頭の鹿を追うて「鮎返りの渕」までやって来たところが、その鹿を渕の主である大蛇が引っ張り込んでしもうたんじゃと。
大隅様は、「せっかく、ここまで追いつめて来たのに」と思い、小刀を背に渕の底深くまで、もぐって行ったと。
美しい緑色をした渕の底で見たものは、彼の追って来た鹿の脚で錦を織りゆう大蛇の妻の姿じゃったと。
大隅様は、「大蛇に会わせろ」と、しばらくの間、言い張りよったけんど、どうしても会わせてくれん。
押し問答の末に、大蛇の妻は鹿の替わりとして錦と巻物をくれて地上へ帰したと。
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一方曽我家では、大隅様がいつまで経っても戻らんので死んだものと思い、立派な葬式を済ませたと。
ところが初七日の日、大隅様が二つの品物を手に、ひょっこりと戻って来たので家中驚き、よろこんだと。
その後大隅様は、大蛇からもろうた巻物によって、法者(ほうじゃ=まじないなどの法力を使える人)として名声を馳せたと。そして曽我家は栄えに栄えて行ったと。
けんどその栄えの中で曽我家は六回も焼け落ち、七回目に焼け跡を調べよったら、何かくすぶる物があるので近づいて見ると、あの巻物じゃったそうな。
「さてはこれが火元じゃったか」と足蹴にすると、ぼうと燃えてしもうた。
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七度も家が焼けたのは、すべてこの巻物のせいだったそうな。
巻物を持って行かれた大蛇のうらみがこもっちょったのかも知れんということじゃ。
巻物が燃えてからは、家が焼けるということは無うなったが、そのかわり大隅様の法は全くきかんようになったそうな。
(出典・追手前高校吾北分校「吾北村説話集」)
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