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メッセージをいただきました(現在表示中のページです)
ロケ日記inごほく


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メッセージをいただきました


撮影の合間の子供たち ありがとうございます

私たちは、映画「絵の中のぼくの村」と関わることによって、たくさんの人々と出会うことができました。
その中には、今でも交流を続けてくださっている方もたくさんいらっしゃいます。 吾北村は、そういった方々の心のふるさとでありたいといつも願っています。
ホームページ開設にあたって、映画の製作に携わった方々の中から、原作者である田島征三さんと、映画監督の東陽一さん、 製作プロダクションである「シグロ」の山上徹二郎さん、助監督を努められた井坂聡さんから、うれしいメッセージをいただきました。




原作者・田島征三さんからのメッセージ


ぼくが少年時代をすごした村は、

もうこの世にはその姿をとどめていないのです。

でもその風景は、所をかえてすばらしいかたちで

吾北村に現存していたのです。

映画「絵の中のぼくの村」に活写されている吾北村の中で、

少年のぼくがそだったような気さえしてきます。

いまぼくは、吾北村をぼくのふるさとのように感じている。

そしてあの映画を見たたくさんの人びとが、

吾北村を自分のふるさとだと思ってくれているのではないでしょうか。



1997年 12月 19日 田島征三さんのサイン 田島征三さん


■絵本作家の田島征三さんは、少年時代を高知県芳原村(現・春野町)で過ごされました。
その頃の思い出をまとめた自伝的エッセイが、今回の映画化の原作である「絵の中のぼくの村」(くもん出版刊)です。
映画の中でも描かれているとおり、ふたごの兄・征彦さんも絵本作家で、「ふたりはふたご」(共作)、「ふきまんぶく」「とべバッタ」(征三さん作)、 「じごくのそうべえ」(征彦さん作)など、それぞれまったく異なる手法ながら、話題作を発表しつづけています。

征三さんは、'96年9月に初めて吾北村に来村、映画のロケ地を訪ねたり、村の人々と酒を酌み交わしたりして、交流を深めました。 また、村の子どもたちへ「きみたちの未来を吾北の山々がみまもっているよ」というメッセージカードも書いていただきました。

今回のメッセージをいただいた際に、近況は?とお聞きすると「'97年は『だいすき』(偕成社)、『川はたまげたことだらけ』(学研)の2冊の絵本を出版しました。 '98年も7月2日から13日まで「星ケ岡アートヴィレッジ(高知市横内)」で個展を開いたり、いっぱい仕事するぜよ。」と答えてくれました。





監督・東陽一さんからのメッセージ


97年11月、生まれてはじめてシリアのダマスカスという所に行ってきました。

もちろん「絵の中のぼくの村」が「ダマスカス映画祭」に招待されたからです。

これより前、4月にはトルコの「イスタンブール国際映画祭」にも出席し、

「審査員特別賞」をもらいました。

宣伝のつもりで外国での受賞歴だけ書いておきます。

★銀熊賞 (ベルリン国際映画祭=ドイツ)

★グランプリ (アミアン国際映画祭=フランス)

★グランプリ (ゲント・フランダース国際映画祭=ベルギー)

★審査員特別賞 (イスタンブール国際映画祭=トルコ)

★観客投票第一位 (金馬奨映画祭=台湾)


吾北村で重要なシーンをいくつも撮影したこの映画は、96年、97年と、

日本だけでなく世界のあちこちで上映されてきましたが、98年にも、

国内はむろんのこと、外国の映画祭での上映もいくつか決まっています。


吾北村のホームページの題名にもなっているこの映画

について詳しいことが知りたい人は、プロダクションの

「シグロ」に問い合わせてください。


1997年 12月 19日
東陽一監督のサイン 東陽一監督の写真



東陽一監督の作品は、「沖縄列島」、「やさしいにっぽん人」、「日本妖怪伝 サトリ」、「橋のない川」などドキュメンタリータッチの秀作が多いのですが、 「絵の中のぼくの村」は、日本人の郷愁を誘うファンタジックな劇映画として、特に素晴らしい魅力を放っています。

今回のロケでは、撮影の合間に子どもたちにコマ回しの手ほどきをしていただくなど、厳しい中にも気さくで暖かい一面を見せてくれました。 映画の完成後も、吾北の清流などを新聞、雑誌、テレビ番組で紹介してくれています。また映画以外でも、「写真文化の村」事業などの吾北の村づくりにも様々な形で協力していただいてます。

※上記の東監督作品についての詳しいお問い合わせは、

「シグロ」電話03-5343-3101/E-mail:BZW04770@niftyserve.or.jp

までどうぞ。





製作者・山上徹二郎さんからのメッセージ


「絵の中のぼくの村」の映画製作は、ぼくにとって特別な意味がありました。

ふり返ってみると、これまで40本ほど映画を製作してきたことになりますが、最近の

作品はどれも自分のルーツがどこにあるのかを確かめるために作ってきたようなところが

ありました。

「絵の中のぼくの村」に描かれた世界は、まさにぼく自身が故郷の村で体験し、そして

今も内側から自分を支えているものでもあります。

吾北村はとても好きな村です。色々なしがらみを考えると、実はぼくの故郷の村より

好きかもしれません。

でも、映画を作り続けるぼくは、やはり映画の中に一番好きな村を見つけてゆきたいと

思っています。

次回作を今、東陽一監督と一緒に考えているのですが、今度も『映画の中のぼくの村』が

テーマになりそうです。またぜひ観て下さい。


1998年 1月 19日 山上徹二郎さんのサイン 山上徹二郎さん


シグロ代表プロデューサーの山上徹二郎さんは、熊本県生まれ。 1986年、映画製作の青林舎から独立し、シグロを設立しました。
「人間の街」(小池征人監督)、「ひろしまのピカ」(土本典昭監督)、「しがらきから吹いてくる風」(西山正啓監督)など、 主に記録映画の製作に携わってきました。
そして1992年、劇映画「橋のない川」(東陽一監督)を製作し、翌年には「JAKUPA=芸術家の誕生」を初監督しました。 NHKのドキュメンタリー番組も、多数手がけています。
現在は、長編記録映画「不思議の国のアーティスト(仮題)」(佐藤真監督)、「鯨を捕る海(仮題)」(梅川俊明監督)などを製作中です。
1993年3月、「絵の中のぼくの村」の映画化の話を聞き、吾北村から冊子「ごほく 樹と水物語」などを関係者の方々に送ると、 すぐに山上さんからの返事が村に届き、今につながっています。





助監督・井坂聡さんからのメッセージ


吾北村の皆さん、こんにちは。『絵の中のぼくの村』で助監督を努めました井坂聡です。

撮影からはや3年、私が初めて吾北を訪れてから、5年も経ってしまいましたが、高知で

過ごした日々の事は、本当にいつ迄たっても、ついさっきの事のように思われます。


原作で描かれた生き生きとした、自然の中での子どもの遊び。そして実際に、私が

吾北で見た、たくましい子どもたち。それは都会育ちの私がまったく経験したことの

ない世界でしたが、逆にそういう人が完成した映画を見た後で、ああいう遊びをやって

みたいなと思ってくれれば、この映画は成功すると思ってました。そして、作り手が

言うのもおこがましいのですが、そういう映画になったと自負しています。


映画の世界を構築するために、どれだけ吾北の偉大な力、豊かな水、緑、そして人の

お世話になった事か。一番最初からこの映画作りにかかわってきた私には、作品が出来

上がるにつれ、ひしひしとそれを感じずにはいられませんでした。


少々オーバーだと思われる方もいるでしょうが、私にはフィルムの中に、吾北の色々な

神が宿ってくれたような気がしたのです。

地元にお住まいだと、当たり前のように感じておられるでしょうが、吾北の持っている

エネルギーは、そう簡単に何かが取って代れるものではありません。


次代にこのパワーを残していく。そのためにできることは何でも協力する。それが私の

願いであり、吾北に対する恩返しだと思っています。


1998年 5月 14日 井坂聡さんのサイン 井坂聡さん


■東京大学時代は、野球部のピッチャー。卒業後、東陽一監督らの助監督を経験、「FOCUS」で監督デビューし注目を集め、1997年スポニチグランプリ新人賞などを受賞しています。
映画「絵の中のぼくの村」では、助監督を努められた井坂さんですが、最近は様々な作品を監督されています。
つい先日まで劇場公開されていた映画「女刑事RIKO・聖母の深き淵」や、TBS系の人気TVドラマ「ホテル」の5月放送分の2本などが 井坂さんの最近のお仕事。
現在は、年末にクランクインする映画の企画を暖めている最中とか。今後も「監督・井坂聡」のお名前を、あちこちで見かけることになりそうです。



-「メッセージをいただきました」について-

このホームページに田島征三さん、東陽一監督、山上徹二郎さん、そして今回、井坂聡さんからメッセージをいただきました。

映画「絵の中のぼくの村」は、おばあさん役の3人など吾北の村民約100人もエキストラ出演したお祭りでした。 ロケ地になったきっかけは、吾北の出身の方が村へ原作本を寄贈してくださったことと、 その後「樹と氷物語」の冊子を、征三さん、東監督、山上さんらにお送りしたことです。

最初にロケハン(の準備)のため、吾北村へ来てくれたのが井坂さんでした。 井坂さんの映画への情熱と、あたたかい人柄に接して「何かしないといけない」と強く感じました。 人の出合いは、不思議でおもしろいものだとつくづく思います。 井坂さんのメッセージのように、スタッフの皆さんが、今でも吾北のことを気にかけてくれていることは、本当にうれしい限りです。

平成10年3月に、写真コンテストの「東陽一賞」の審査のため村へ来てくださった監督は、 「吾北では、まだまだ、絵の中のぼくの村の祭りが続いているんですね」と笑っていました。
この祭りは、これからも続きます。メッセージをいただいた皆様、本当にありがとうございました。




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